「めんどくささ」を感じたときの自分のあり方を見つけた日

□昨日も、頼まれていた「お直し」をやった

かなり前に頼まれていたものだ。

「急いでないから、暇なときにお願い」って…

早くてできて嬉しくないはずなんてないはずなのに。

 

□放置すればするほど手を付けるのに気が重くなる

それなのに「忙しくて」なかなか手を付けられなかった。

最近は時間がけっこうあるから、というのもある。

それでも時間を見つけられなかったのか、というとそんなことはないはず。

つまりは「作らなかった」だけだ。

 

□ものを捨てられないのと同じ

要するに時間を作る「決断」ができなかった。

時間ができるのを待っていた、という感じだ。

「お直し」はたしかにめんどくさい。

でもこれは物を捨てる「決断」や目標を決める「決断」とどこか似ている気がする。

そして、こういう後回しグセはわたしの優柔不断さなのかもしれない。

 

□めんどうなことならなおさらすぐやる人であろう

別の見方をすると、めんどうに感じることは、私に対しての「存在(もしくは宇宙?神様?)」からの挑戦なのだ。

それに対して受けて立つかどうか、と考えてみようではないか。

すると「なんとなくめんどうなこと」が、まるで「恵みのチケット」のように思えてくる気がする。

 

今日は焦らず「受けて立つ」精神で行こう。

4時23分 ありがとう。

A woman threading a needle on a sewing machine, sewing upholstery fabric.

ご訪問ありがとうございます。この日記は朝15分で書く「継続チャレンジ」ブログです。根性なしですぐ挫折しますが、いつか『1分で読める、ちょっとだけ役に立つ日記』が書けることを目指して精進します。ほぼ毎日朝4時更新。

飽き性なわたしをそれはそれで認めて、毎月テーマを決めて投稿してみることにしました。7月は「四行日記」を意識して書いてみようと思います。それさえすぐ忘れそうなのでここにメモ。7月は四行日記を極める目標!