踏み出せない怖れ。あぁ、そのせいだったのか、と気づいた日。

昨日は 延々Youtubeを観て1日が過ぎた。

老若男女さまざまな人の動画を観ていると「自分もなにかやろうかなぁ」という気持ちが頭をもたげてきた。

でもその瞬間、それを押し戻そうとする自分がいる。

 

自己表現すは 人のコアな欲求のひとつだと思う。

もちろんわたしがその欲求に素直になってたとして、恥じらうものではない。はずだ。

にも関わらず、それを極端に怖れている自分がいつも心にいる。

つまりわたしは「でしゃばる」ということを極端に怖れているのだ。

 

「でしゃばる」ことで何か痛い目にあったわけではない。

分析すると、母が「でしゃばる」ことを相当に嫌っていた人ゆえ、今でもそれがわたしの心の重しになっいるようなのだ。

 

わたしの外見からは想像できないだろうが、実は、自分をさらけ出したり、人の先頭に立つことを、相当に怖れている。

本当は 決して目立ちたくない人間ではない。むしろその逆なんだと思う。

にもかかわらず、目立ってしまった後は 「私なんかが…でしゃばってしまったのではないか」 と、ものすごい自己嫌悪におそわれる。

 

そういうコンプレックスが、わたしに「自己表現」というテーマを与えたのかもしれないな。

 

欲求と怖れの間を行ったり来たり。

そんな自分に言ってあげたい。

「いやいや大丈夫。心配しなくても、あんたのことなど誰も興味がないし、観ていないよ。安心して好きなように飛び込んでいらっしゃいな」

「そして、本当の母は、それをきっと喜んで観ていてくれているはず」とね。

 

今日も生きてる。

ありがとう。

 

と、今これを書いていて気づいた。

Wooden figure on drawn steps

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